社会福祉法人 徳島県自殺予防協会
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「逆境もまたすばらしい」

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札幌キリスト福音館 牧師
三橋 萬利・幸子 夫妻

はじめに

皆さん今晩は、このような講演会にお招きいただきまして、私ごとき者が出させていただくことを本当に光栄に存じます。

私は3歳の時に小児麻痔にかかり、両手両足を自由に動かせなくなりました。

自分の人生について嘆き悲しんでいたあの子供の時を思い出すと、今皆様の前にこうしていることは夢のようであります。

私の母は、私が小児麻痔にかかって間もない3歳の時に亡くなりました。亡くなる時、自分の母親を枕元に呼んでこの私を連れてこさせ、目に一杯涙をためながら「この子をよろしく」といって息を引き取ったそうです。私は二度目の母に育てられました。この母は本当に私のことを愛してくれました。

「お前が生きている間、ずっと世話をしてあげたい、私が死んだらお前はどうやって生きていくのか」いつもこう言っておった母でしたが、この母も私が20歳の時に亡くなりました。

その数カ月前、「お前はどうしてこんな足になってしまったんだ、こんな手になってしまったんだ」といいながら、たらいにお湯を汲んできて私の手足を洗ってくれた父も私が19歳の時に亡くなりました。

父も母もどんなにか、私のことを心配してこの世を去っていったことだろうか。こうしている今の私の姿を見せたいと、いつも思うわけであります。

「いい顔しているね。」

私がはじめてアメリカにお伺いして老人ホームでお話をした時のこと、1人のおばあちゃんが講演の後、来てくれまして私の手をしっかり握って、「あんたはいい顔してるね」と言ってくれたんです。嬉しかったですね。子供の頃、私の家の縁側から外を眺めるのが毎日でしたが、自由自在に遊び回っている子供、ランドセルを背負って学校へ行く子を見ては母にだだをこねて泣きました。
いい顔するどころじゃなかった。

何度、死んだ方がましだと思ったことか。

けれども、今の私があるのは、今このように生かされているのは、私にどんな力が与えられたのか、お話しましょう。

自己受容

三橋萬利さん講演会の様子

多くの場合、私達は他の人と自分を比べて私はどうしてこうなんだろう、どうしてあの人のようにできないんだろう、と自分自身を見ます。

そうすると全く惨めで悲しいんですね。

そういうことをしている時には何の喜びもありません。相対的ではなく絶対的な自分、あの人と私ではなく私は私なんだ。このような境遇、環境の中にある私なんだ、そう分った時から生きて行く力が生まれ、生きる素晴らしさを知ったのです。

「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」有名な聖句ですが、私達はもっと自分を愛することを知ったらいいと思うんですね。自分を愛するということは、自分をありのまま、そのまま受け容れるということです。家内は、私のことをありのままのこんな身体の私をそのまんま受け容れて結婚したのです。

一級身体障害者で小学校すら出ていないこの学歴のない私をです。

私は、多くの方が余りにも自分を痛めつけているような気がします。そして自分自身をみじめにしてしまっているんです。かつては私もそうだったのですが。

ありのままの自分を受け容れることが大切だと、

このことが分った時、私にも何か生きる目的があり、生かされている意味があるんだ、私なりの生きる使命があるんだ、ということを考えさせられるようになってきました。

幸福な人生とは

三橋夫妻の写真

ある本の中でこんな文章を読んで非常に感銘を受けました。

「不幸な人とは、自分の生き方を通して他の人に祝福を与えることのできない人だ」私は考えさせられました。

手足の自由が利かないから不幸なんだ

金もちでないから不幸なんだ

病弱だから不幸なんだ

そうじゃないんだ

笑顔ひとつでもいい、あの人はあんなに身体が不自由でも喜んで生きているじゃありませんかと、この私を通して多くの人々に祝福を与えることが、できるのではないかと思い至ったのです。

私も願わくば、囲りの人々から喜ばれるようなそんな人間でありたい。私には何もない。何もできないかも知れない。でもこの与えられた境遇に押しつぶされてしまうんじゃなくて、このままの自分で、他の人々に祝福を与えられたら、私にとって何と幸いな人生になるだろう、とねがってまいりました。

以前ならば、目覚めると(ああ今日1日どうやって過そうか)と。ところが今は朝日覚めると、(ああ…今日のうちにべツトに入れるかなァ)と思うんです。昨晩も1時過ぎに床に入りました。毎日のように1時過ぎになるんです。それほど電話がかかってきたり、相談に見える方があり、手紙の整理があり、いろいろな方から手紙が来て、いろんな所へ講演しに出掛けて行くので12時前に寝ることはないのです。以前の私だったら、今日1日どうやって退屈しないですむだろうか、誰か遊びに来てくれないだろうかと、その日その日を過していた昔のことがまるで嘘のようです。

なぜ逆境もすばらしいのか

講演会を聞く人の様子

私達夫婦は、2人の息子に特別なことを教えはしなかった。しかし2人共自身で大学福祉科で学び、人間として何が大切なのかを知ってくれました。

人を思いやること、助け合って生きて行くことを知ってくれました。

経済的に恵まれず欲しい物も買ってあげられなかった。よちよち歩きの時から母親の背中に負われたことはないんです。家内は私を背負って乳春子を小脇に抱いて片一方の手にスーツケースを持って旅に出たんです。大した女だと思いますね。

ですから、いつでも母親の背中を占領していたのは父親の私なんです。だから息子はいつでも歩かねばならなかった。手を引っ張られながら、たがいに愛し合うこと、いたわり合うこと、助け合うことの大切さを学んでくれました。これも感謝です。

あの光るダイヤモンドや宝石などを売るお店に行って見ますと、黒っぽい布を下に敷いて宝石を置いてありますね。白い物の上にはのせてありません。

ダイヤモンドの光が本当に輝いてみえるのは、黒いバックがあった時なんです。

逆境こそ、その黒いバックです。その人を真に光り輝かせるチャンスなんだと思います。

どうか皆さん、他人との比較でなくありのままの自分を受け容れてそれぞれの生き方をして下さい。

ご静聴ありがとうございました。

一三橋夫人に代って一

私は高校3年の時、クリスチャンになりました。

何のために勉強するのか、何のために生きるのか、愛するとはどういうことか、真実に生きて見たい、そんなことでとても悩みました。悩みがあなたの友達ですか、と言われる程に。そしてあるきっかけから神と出会い、私の人生は全く変ってしまいました。

学校の先生になりたいと思って受験勉強していたんですけれども、悩んでいる人、病んでいる人の友となりたいと看護婦になって本当に仕えたいと看護学院に入学いたしました。

三橋との出会い

三橋幸子さん講演会の様子

その頃、三橋は教会員の兄弟姉妹達によって、送り迎えされていたのですが、このお手伝いを私もさせていただいたのです。そんなことで三橋を見ておりますと、もしこの人に手足となる良い助け手が与えられたら、彼自身の持つすばらしさがもっと引き出されて、生かされていくのではないだろうか。そしてあるクリスチャンの姉妹を思いながら、あの三橋さんの良い助け手となるように祈りはじめたのですが、その折りとはウラハラに、あなたはどうですか?あなたは?とのささやきを神様から与えられたように感じました。いいえ、私はできません、と反論したのですけれども、「人その友のために自分の命を捨てる、これより大きな愛はない」聖書のみことばから深く教えられ、覚らされていったのです。

私が出来なくても神さまのお力によって彼のために役立つことができるならば、と遂に決心しました。

猛反対の結婚

私共の結婚のことを具体的に話しますとそれは大変な反対に会い、私自身にもさまざまな心の葛藤がありました。

先づ看護学院を中途退学するということについては先生方の猛反対を受けまたそれ以上に私の家族が反対をしました。特に母は、敗戦後の食糧難時代に苦労して私を育て、中学高校とカトリックのミッションスクールに通わせてくれました。また看護学院という専門学校に入れてくれますのに多くの犠牲を払ってくれました。

やがては高等看護婦として卒業するであろうと心待ちにしていたことでしょう。それなのに中退して一生涯おぶって歩かなければならない、しかも生活能力もない人と結婚する。それは母にとって大変なショックだったでしょう。母の心情を今思いますといつも心が痛く感じます。母は「今まさに花を開こうとするその蕾を無惨にむしりとってしまうような貴方の神はそんな神なのか、人は幸せになりたいから信仰を持つのではないのか」と、心がかきむしられるような思いだったようです。そんな神なら呪って捨ててしまえとその怒った気持を今は私も分るような気がいたします。

父も本当に怒りました。「せめて看護学院を卒業したらどうか、お前の親でもない、もう再びこの山本の家の敷居をまたいではならん、」と怒りました。

でも私は、自分の悩みからも救われ、そのように導かれたことを私の心から取り去ることはできなかったのです。神さまは私を見て下さると思いました。勘当されたまま家を出て汽車に乗ろうとした私の前に、父が立ちふさがり「お前は本当に行くのか、生きることがどんなにきびしいか分っているのか」、涙を流して押しとどめようとしました。

しかし、私は真実に生きて見たいと思いましたから。このことは、クリスチャン仲間にも理解されませんでした。信仰を持って1年にしかならない20歳の娘にこんな困難な結婚ができるであろうか。

「誰も見むきもしない深い溝の中に落ちこんでごらんなさい。神がその側近くにいます」と語られたことばがありました。

私達が結婚したことが新聞に報じられました。「あなた方の結婚は小説のようだ、そんな生活が永続きする筈がない、やがて、離婚するだろう」というような風評がもっぱら巷の噂でした。

確かに実際の生活は想像以上のものでした。出掛ける、辱しめられる、いろいろな問題が起る。主人の姉もこの結婚に反対だったので涙を流すほど冷たい人間関係を味わい、また食べるのにも困りました。「でも日毎の糧を与えて下さい」と祈りながら、このようなことが私達夫婦の争いのきっかけとはなりませんでした。

主人だけでなく障害者は身体のハンディより心の障害に悩み、心が痛んでいることが多いのです。健常者では分からぬ苦しみ悲しみとなって自分を縛っているのです。私が心掛けたことは、障害者である意識がなくなるように、あなたは私の夫です。私を支配し治め、夫が特性を充分生かせるように、自信を持って人の前に立つことができるように、「このことも出来る、こんなこともできるんです」と賞賛してあげました。三橋は口と不自由な手でラジオの組立などをすることができましたが、私は本当に尊敬しておりました。

食べる物もない貧しさの中から始まった結婚でしたが本当に信頼し合い、支え合い受げ容れ合い、赦し合える結婚生活を経験させていただいております。

今、私達は時間との闘いをしております。これ程までしなければならぬ使命に追われて人生を送れるようになりました。

2人で1人

私は肉体的には主人を背負っていますが、精神的には主人に背負われています。2人で1人分でしかありません。決して離されてはならない、離したら無効です、と言っています。主人のいない私は考えられませんし、私のいない主人も考えられないだろうと思って死ぬ時も一緒にと思っています。31年間本当に信頼し合い続けてきた今日、夫婦のすばらしさ、一体感を味あわせていただいております。その幸せをかみしめております。長い間、ご静聴ありがとうございました。

〔テープ起し・八巻文責・福井〕

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