社会福祉法人 徳島県自殺予防協会
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再開の家 「人として再び」

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メキシコ 「再開の家」 主宰
ラレス・ハイメ・チャレス神父

おことわり

この文章は、去る2007年11月21日22日23日、阿南市「ひまわり会館」、徳島県郷土文化会館」吉野川市「アメニティセンター」の三カ所で開催されたチャリティ講演会「生きる」での講演をラレス・ハイメ・チャイレス神父を支援する会の村上レイ子さんが筆記されたものです。

再開の家 「人として再び」

ラレス・ハイメチャレス神父講演会の様子

私はメキシコ・ティファナ市から来ましたハイメ・ラレスと申します。1976年に初めて日本に来てから延べ16年間沢山の人々にお世話になり、日本へ来る事が出来たことを感謝しております。

まず日本語の勉強のために鎌倉へ行きました。初めは本当に難しく、どうしたらよいかわからず、独り部屋に閉じこもってしまいました。10日間もそうしていて、ようやくこれから努力していこうという思いに至ったのです。その後、東京、福島、京都の教会へ宣教者として赴任し働きましたが、30年前に私を送り出してくれた故国の人々のために尽くしたいと決心し、帰国いたしました。

以来6年間メキシコ北部アメリカに近い国境の町ティファナ市に済んでいます。

かつては8万人の人口だったこの市は今280万となり、その多くはアメリカでの豊かな生活を夢見てメキシコや中南米から来た人達です。この人達にとってアメリカへの移住は非常に難しく、入国できないまま国境のこのティファナにとどまらざるを得ないのです。従って家もなく、仕事もなく、まして国で保護することもなく、次第に希望を失って自堕落になっていくのです。

私は日本から戻ってまもなくのある日、路上で6歳と3歳の兄と妹に出会いました。聞けば父を知らず、母は薬物依存症で薬が切れればこの子供達に暴力をふるっていたとのこと。しかし、1週間前に家を出て行ってしまったとのことでした。そのような母にも見捨てられた2人の絶望的な悲しい目を見たとき、こんなに小さいのに受けた辛さ、救いようのない苦しい思いを私は深く、強く感じたのです。この子供も薬物の被害者なのです。薬物は南米コロンビアや各地で生産され、高値で取引されているのです。多くは厳しい取締りの目をかいくぐり地下トンネルまで掘り、あらゆる巧妙な手段を使ってアメリカへ持ち込まれていくのです。そこまでするのは莫大な報酬が手に入るからです。なぜなら一度薬物依存症となったものは、どんな手段を講じても、高い代価を払っても薬を手に入れたいからです。いやもう止められなくなっているからです。先日も23トン、日本円にして560億円もの麻薬が摘発されましたが、おそらくここを通過するものの一部でしょう。

人々は人間関係に倦み疲れ、希望を失いながら薬への誘いにのっていくのです。売人は元気が出る、疲れが取れる、痩せられるとか言葉巧みに近づき、初めは無料で与え、2度、3度と重ねるうちに間もなく中毒となり薬から逃れられなくなっていくと高価で売りつけるのです。ここからが地獄の始まりです。

どんなに苦労してもお金を作り高い薬を入手しようとするのです。家庭でも初めに男性が手を出してこの快感を味わい、その内女性も誘惑に落ちていくのです。最初に受けた陶酔を2度と再び感じることがないのに、もう一度あの快感をと望みながら、この誘惑の深みに沈んでいくのです。これは脳が快感を覚えてしまうからです。こうした家庭で省みられなくなった多くの子供たちは街をさ迷い歩きストリートチルドレンとなり、これまた薬に犯されていくのです。

このティファナ市には160箇所ものリハビリセンターがあり、その99%は薬物から立ち直り社会復帰した人によって運営されています。市民の100人に4人が依存症で、その4人に1人は女性であり推定で20万人は超えるでしょう。一度薬に犯されれば、独りの個人の努力では決して抜け出せない、まさに麻薬なのです。では、何故多くの人々が麻薬に犯され、溺れ、自滅への道を辿るのでしょうか。多くの場合、この恐ろしさを知らない無知であり、救いようもない貧しさ、劣悪な環境から一時の憂さ晴らしに陥っていくと思われるのです。

立場を替えてもし私がここに生まれていたとしたら、おそらく私もそうなっていたかも知れないのです。彼らの意志が弱いからではないのです。

他者を思う温かさに欠け、何よりも物を優先させる社会の生んだ歪であり、病であり、社会の痛みの表れではなかろうかと思うのです。しかし、もっと深く関っていくとき、自分も同じく心で病んでいるのではないか、自分も彼らと同じではないかということに気づくのです。

ある家庭のことを考えてみましょう。生まれて間もない赤ちゃんは泣くだけで何も訴えられなくても、回りの人がその鳴声を聞き分け温かく抱いて世話をして安心させるのです。誰かが助けてくれるという信頼が生まれ、家族が近づく気配で赤ちゃんは泣き止み、手足をふって喜びを表し、甘えるのです。しかし、家庭によっては両親が不仲で、父親が家族に暴力を振るう時、子供は何故この世に生まれてきたのか、自分がここにいるのが問題の原因ではないかとさえ思うのです。生まれながらに父を知らず母に育てられ、その母も自分を捨てて去っていったのと、両親そろっていたが病死したとか事故死して孤児になったのとは雲泥の差があるのです。自分は捨てられた、生まれる必要がないから親は捨てたと知った子供は、自分の存在を拒否され、絶望的になるのです。他方片親とか両親に理由があっていない場合は、残された母や弟妹を援けて懸命に生きようと励むわけです。

この子には生きていく希望が有り、責任も生まれてくるのです。ある女性の場合、南アメリカからやってきて水商売をしていました。と同時に多数の男の人と関係してきました。夫は早く亡くなり、彼女は時々家に帰って1日、2日だけ居ては客をとり、罪の意識のため薬に手をそめていったのです。家にいる小さな娘までこの客たちに犯され続けました。

こういった子供たちのその後をみると、幼児期に常に辛い思いを体験し、後に、特に過去を意識しなくても悲しい思いは終生胸に淀み、愛のない人間不信を持ち続けて生きていくのです。こういう時薬物はこの家族ばかりでなく社会全体の痛みを表現しているのです。

このように将来に全ての希望を失って自ら死を選ぶ人も決して少なくないのです。彼らが薬物を作ったのではないのです。私達は病気ですと社会全体に助けを求め訴えているのです。もし体が丈夫な時は、多少体調を崩したとしてもいつの間にか治っていく、そういう自然の治癒力を私達は備えられて生きています。 しかし気力と共に体力が衰えている時、例えばエイズに感染し、発症し、エイズセンターに送られたとしても、本人がこの病気を受け入れ、自覚し、回復したいと努めていくとき、確かに快くなっていきます。反対にこれは不治の病と希望を失い自暴自棄となり命じられた治療を怠ると、病気はどんどん悪化し、早く命を落としてしまいます。エイズは感染してある時期からは、生涯薬を飲み続けなくてはいけないのですが、それを守れば社会人として充分生きていけるのです。

この人生の明暗を分けるのは何に由来するのでしょう。幼児期にどんな環境で育ったかが重大な理由となります。小さい時に暴力をふるわれ家族から疎んじられ、捨てられ、自分は生まれないほうが良かったのではないかと、希望もなく、人を信じる気持もなく育った場合、生きよう、生きたいと言う心がある筈もなく、立ち直ってはいけないのです。

日本では刑務所の入所者の60%は薬物依存症者です。刑期を終えて出所しても迎える人とてなく、仕事もなく、忽ち行き詰まり、また薬に溺れ、絶望の果てに多量の薬を摂取して自殺してしまう人も多く見られます。

事実依存症者は薬物を取り続けること自体が自殺していくようなものです。私達は時に人を恨みます。嘘を付くことも有ります。一寸したことで腹を立てることもあります。それがいけないと思いながら、なかなか治らないし、抜け出せないものです。普段自分はそのような癖がないから心配しなくて良いと思うかもしれないが、物への依存はなくても行動に依存があるのではないでしょうか。

自分が変わらなければ何も変わらないと思います。わたしは子供の頃、兄4人、姉1人と家族も多く、貧しく過ごしました。ただ勉強はとても好きで学校では友人たちと仲良く一緒に楽しく過ごしました。ある時、友人のお母さんに頼まれ、彼の家で一緒に勉強をしたのです。終わるとお茶が出され、滅多に食べないようなケーキまで勧められ、うれしくおいしく頂いたのです。

こうして度々友人の家に招かれているうちに、友人のお姉さんも加わって勉強しました。2人は夏休みにはキューバに行ったとかマイアミで遊んだとか話し、夏休みはどこへいってきたかと私に尋ねるのです。返事に窮した私は父が多忙でどこにも行けなかったと言葉を濁していました。その中、今度は君の家でも宿題をしようと言い出され、この家に初めて訪ねた時から私の家とは比較にならない良い生活をしているのをみていて劣等感をもちつづけていたのです。

しかし、度重なる友人の頼みについに断じきれず、自分の家に連れてきてしまいました。友人はとても喜んで私の家族とも話、一緒に勉強し、楽しく過ごしたのです。友人は何とも思っていなかったのです。私は思いました。あの心配は、友人を連れてきたくないなどと思ったのは何だったのか。取るに足りないことだったと気付いたのです。このようなことで自分の中に分裂が起きていたことを知り、それは重大なことではないと悟ったのです。

私は依存症者とかかわっていこうと決心した時、リハビリセンターの実情を知るために、あるセンターに3ヶ月間入所しました。そこは男性だけのセンターでしたが、性的いたずらをされた心の傷が後遺症となり麻薬に陥っていくケースを度々聞きました。

リハビリセンターでは同病者と共に“今日一日だけ我慢しよう”を合言葉に互いに励ましあいながら少しずつ薬の誘惑から離れていくことが出来るのです。病気の時はあらゆる手段を講じて薬を入手しようとしたものでした。

嘘を言い、家の金品を盗み、学校も止め、ついに家を追い出されることになったのです。今は皆同じ条件で入所し、共同生活をしています。誰も私を裁いたりはしない。名前も仕事も過去を尋ねたりもしないのです。

同病者として語り合い、友人の治癒の家庭を聞くことで希望も湧いてきます。助け合い、互いに大切な存在であることを自覚していくのです。依存症者だった頃は全く薬の奴隷でした。

ある女性は薬を買うお金欲しさに、3歳の我が子を僅か2000円で売ってしまったのです。またある夫は妻の出産費用を病院に届ける途中で薬に使ってしまったほどです。

静かに自分を見つめて見ましょう。この体が今までずっと私を支えてくれました。手や足も動いて私を働かせてくれました。話すことも見えることも当たり前ではなく、いかに恵まれているかに気付くでしょう。思えば今日あるのは、過去に出会ったいかに多くの人々に繋がって関りあって生きてきたことかを自覚し、感謝いたしましょう。
数多くの出会いに教えられ、諭され、援けられてきたのです。私たちがここに存在すること自体、本当に貴重であり、奇跡とも思えることなのです。ある人は言いました。生まれたときから父を知らない。母は私が4歳の溶き目の前で荷物を持って私を捨て出て行ってしまった。隣の人に引き取られたが、邪魔にされ、苛められ、10歳のときストリートチルドレンとなった。マリファナに手を染め、やがてリハビリセンターに収容された。

ある日、聖書エレミア第1章に“お前を胎内につくるより先に私はお前を知っていた”この語句に触れ、熱い思いが胸に溢れた。私は独りではない。いつも大いなるものが私を守ってくださることを強く感じたのですと。私達は皆仕合わせになる鍵を一人一人与えられ、持っているのです。それは全ての人に神が与えたもので、決して誰にも渡さず、しっかり持って必ず幸せになりましょう。一日一日他者への感謝を忘れずに助け合って生きていきましょう。

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